なにぬの屋
@mrjackson

東京を離れてばかりいた最近をちょっと振り返ってみました

やっと落ち着いて東京に居るので、久しぶりに旧友とあったり…とちょっと振り返りの時です(長文失礼)
手帳を見ると17回気仙沼か仙台か郡山か南相馬に行っていました、数ではないのですが、自費で行った2回を除けば全て被災地支援の大切な支援金から交通費、滞在費を出して頂いたおかげです
また行くの?よくやるね~^_^;と回りから呆れられながら行った5月。1年2ヶ月たった今、こちらが何かを持っていく(与えられる)支援から、仕事やまちづくりなどを一緒に考えるいわば同志のような息の長い支援が求められている。…と感じました。
そもそも私の原動力は、やっぱり阪神・淡路大震災の時がむしゃらに派遣され、出会った出来事。非常時の大変さと子どもの不安な顔そして、明るさ。一緒に活動したNPOの仲間と「次自分の地元でなんかあったら俺達動こうぜ」って熱い誓い(恥*^^*)その割には、がむしゃらで漠然としてただけだった反省…の気持ちからでした
昨日も地震がありましたね…5強と聞いて私もビクッとしたくらいだから、まだまだ怖いだろうな~大丈夫だったかな
支援ってなんでしょうね…ボランティアとか…、自己満足といえばそれまで
結局当事者でない私が当事者と代わる事はできない…
今、仕事がないという方に何をどうすればいい?
とにかくいつも以上にもやもやして帰ってきた5月でした
人間忘れやすいし、忘れる本能もあります
だけど、今はニュースが流れれば、あっあの子元気かな?あのおばあちゃん元気かな?と思う。それも支援…と呼ぶのはおこがましいかも知れないけど、気にかけている事、これからの復興に学んでいく事もはきっと少しは頼もしい未来につながると
そして、もし可能ならの話ですが被災地を訪れてない方には見て欲しいと思います
地元の方も言っていました。未だに、1年前から手付かずなところもあるし、積み上げられた瓦礫もテレビで見るのとは感じる事が違うはず。そして、できれば美味しいもの食べて、見るだけなんて失礼と思わず(常識の範囲で)と思います
また「何年後かに町が完全に戻った時も来て」という地元の方もいた
2度見て!って事ですね
以上の考えがなんだよ、偉そうに…と写ったらすみません
私もまた行きます…が、しばらく身の回りの事をきちんと取り組んでから…
それから、福島の事はなぁ
浪江町から避難している私の友達が「いつ帰れるのかもう帰れないのかはっきり言ってほしい」と嘆く…1年経った今がまた一段と苦しいと言っています
当事者の気持ちに寄り添うなんて本当に難しい
友達だから近い分、逆に聞いてあげても楽にしてあげられてない時もある
今回、気仙沼で帆布で作ったバックとか小物買ってきました
デザインとかカッコいいので、迷いながらも妥協とかせず欲しかったものを買いました
良いものだから売れるというのは正当でいいです、
http://blog.goo.ne.jp/akazara_boy/e/206fb36d53fff18f2f07364c47f9efe8
鹿折で売っていた希望のヨーグルトも美味でした!
http://www.shishiori-marche.jp/2012/04/20/%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AE-%E3%81%AE%E3%82%80-%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%81%94%E8%B3%BC%E5%85%A5%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86/