なにぬの屋
@mrjackson

気仙沼あそびーばー2歳・・の報告

私の話にたびたび出てくる気仙沼あそびーばーは、震災後の4月26日、まわりに遊ぶ場所がなくなってしまった寺谷・大谷地区(学校の校庭は仮設住宅の建設準備にすぐ入っていた)の小・中学校から5分くらいの高台に開設された野外の子どもの遊び場です。日本冒険遊び場づくり協会の仲間が地元の方と相談して場所を決めました。

 

あれから2年、全国からの入れ替わり立ち代わりのスタッフで運営してきたが(プレーリーダーと呼ばれる大人、だが遊びの指導をするような「リーダー」ではなく話し相手のような存在)、この場所に来る子どもたちの安心感が揺らいでしまわないよう、「思い切って気仙沼に移り住む!」決心をしたプレーリーダー神林(かんぺー)が2011年9月から常駐している。

 

・・それが大きいのだと思う。

子どもたちの口から、1年前も「1周年!」の声があがり、今年も「2周年!」と喜ぶ声が出たそうだ。最初は3月11日の前に聞いたときは「・・周年」の使い方にへ?と思ったが、子どもたちに実際聞くと確かに「あそびーばー出来て1年だよね~」と。嬉しいことなのだ。

 

なので「2周年は何がしたい?」と聞くと「あそびーばーにお泊りしたい!」

そんなに「キャンプ」だとか経験したことがない子でもやっぱり「お泊り」ってことでわくわくするし、1年半くらい前からずっと建設整備!?されてきた基地があってそこにお泊りしたい子もいるらしい。

 

 

なので、私が助っ人に行った「お泊りびーばー」当日は、昼からくるなり、黙々と自分の寝床づくりにとりかかる中学生がいた。東京の子とよく行くキャンプでも、最初はなにしていいかわからないって子が多いのに・・よくイメージがついていること^^

 これ、柱にすじかい入れてる。屋根張るためにね。

この後、床も作った。きっと見よう見まねで覚えてきたんだね。2年前はのこぎりなんて持ったことないと言ってた。

 

 

 

小学生たちはかんぺーやぶんちゃと一緒に同じく床を張り、屋根をつけて(何せ4月の東北の寒さはあなどれない^^;)

完成したのは、もう真っ暗になる頃。

 

そして晩御飯もちょうどよく・・・はできてないから、お腹空かしながら作って20時くらい。「やみなべうどん」

でも肉や餃子が入ってて美味しかった。チヂミもね。

 

朝も起きてすぐ誰か(あっ私とか)が作ってあげてる・・訳がないので、またお腹空かしながら鍋でごはん炊けるのをみんなで待って食べた。綺麗に完食!!私が挑戦した竹筒ごはんもうまくいった!!何にも入れ物がなくてもサバイバルにごはん炊けるアピール?でしたが、あまりうらやましがられなかったけど。

 

 

 

 

 

朝ご飯のあとはまた寝袋に入っていも虫ごっことかやってたなぁ

そうそう、お泊りの日の昼は小3女子たちと一緒に「あそびーばー2歳のお祝いホットケーキを作った

「ねぇ2歳じゃなくて3歳だよ」と言い張る子。「だって私が1年生の時あそびーばーが出来て今3年生だから3歳だよ。やっこ間違えてるよ~」

 

^^;数え年かい・・

 

あそびーばーは一日たくさんの子が来るお天気の日もあれば、基地づくりに熱中している子だけしか来ていない雨の日や風の吹く日もある、常駐の「かんぺー」は小学校ではみんな名前を知ってて、保護者や先生にも・・・どこに行っても声をかけられる。

もしかして、遊びにきたことがあまりない子でも、「あそこに行けばどんな小さな話でも聞いてくれる」そんな気持ちを持ってほしいと、かんぺーは頑張っている。

「被災地」「復興」その言葉の奥に言い表せない困難がある地域に住む子どもにとって、あそびーばーやかんぺーが「よりどころ」になってくれればいいなと私は思い2か月に1回は、できるだけ行くようにしている。たまに行っても何もできないけど、かんぺーやあそびーばーを残そうと尽力してくれている地元の美和子さんのお話を聞いて、ちょっと掃除を手伝ったりして帰ってくる。もちろん、「やっこ!しわが増えたな」とか子どもに言われながら^^;遊んだり。

晴れの日と雨のひ、風の日のあそびーばーを目に焼き付け、これは被災地では特に、でも、東京でもどこでも地域であたたかくゆるーい「よりどころ」があることが大事と思い帰ってきます。

このあそびーばーと共に、もっと色々各地へ出かけていくプレーカー(これも「俺が行く」と移り住んだ須永(ぶんちゃ)という元同僚がやっています。黄色いかわいい車に遊び道具を積んで岩手、山形、宮城、福島回っています)私はこんな形で二つの活動を応援していきます。これを読んでくださった方ありがとうございます。

また様子を報告します。