なにぬの屋
@mrjackson

お遍路の効能…?*^-^*

お遍路の効能…?*^-^*
お遍路の効能…?*^-^*
今日のブログは、私がお遍路に行く前にネットで「四国」「遍路」などで検索して情報を得たりして、助かったそのお礼に書くので、興味のない方は読み飛ばして下さい。

ひとり芝居「花いちもんめ」のいわば「役づくり」として、「歩いてみたかった」だけで行ったので、振り返るにはまだまだの「始めたばかりの区切り遍路」ですが、先だって歩き遍路をされた方が、その苦労や発見をブログに残しておいてくれていた事に感謝しますし、伝えたくなる気持ちもわかりました。ので、効能ではないですが、感じた事を少しだけ綴ります。

私は自意識過剰なのか、杖を持って、傘をかばんに入れて、高速バスに乗っている時点で、恥ずかしく…電車でも駅でも隠すように持っていました。でも、歩いているうちにだんだん、その気持ちは取れました。(区切り遍路でない場合は、たいてい1番で購入してそのまま通しで行くので、問題はないかと思いますが)

でも、私の意識過剰だけでなく、皆さんやはり気恥ずかしさがあるようです。バスの方は着いてから着てますし(^-^;結論から言えば、「白衣も杖も傘も輪袈裟も気持ちがともなわなかったら無理には、使わなくてよい」と思いました。

お経やお参りの仕方も、調べていくとだいたいの順番を載せてある情報があります。杖のマナーも頭に入れて行った方がよいです。けれども、声をあげず恥ずかしそうに、又はたどたどしくお経をあげている人は何人もいました。それを馬鹿にする人はいなくて、「一緒にあげよか」「声出した方が覚えるからな」と声をかけてくれる人もいるから大丈夫です。

私は、道中ほぼ一人でした。誰かが書いていましたが、お大師さんに見守られているのか、不思議と心細くないです。話に聞く接待や出会いも「そんなのないなぁ、それも修業かな」と思っているうちに、やってきます。バスでくる遍路さんは、大きなザックを見ると「ご苦労さん、えらいなぁ」と声をかけてくれます。中には足の弱い方もいますから、ご自分では回れない思いもあるのでしょうね。

地元の方も、「ご苦労さん」「お大師さんのおかげ(観光収入にもなってという意味ももちろんあって)ありがたいこっちゃ」と言ってくれます。私も、来たくて来たんだから、穏やかな気持ちになればよいのでした。

立江寺のおじちゃんに言われたように、「願い」はちゃんと持っていった方がいいと思います。出会った一人には「何年かかってもいいから、全部回りなさい」と諭されたりもしました。実際にまたいつ行けるかは未定ですが、もし1回でも1日でもお参りするなら、日頃、気になっている事に向き合う時間として、手を合わせたらよいと思いました。たとえお経はあげなくても、そんな時間を「有り難い」という気持ちをこめたらよいのではと。ほぼ無宗教者の私の意見ですが。

私が会った歩き遍路さんの一人は77歳!、2年前に脳梗塞で左半身麻痺したところから、リハビリして、また歩きに来たそうです。「この景色にまた会えた」とシャッターを押していました。「リハビリの苦しさはした者にしかわからんけど家族は可哀相だからなんて甘くしないのがいいんだぞ」と言ってくれました。海沿いの遍路道で波の音を感じ、本当に、貴重な時間を堪能しました。(写真)

私は今回、「歩ける幸せ」から派生して、父の事、父母に連れられ険しい登山ばかり連れていかれた(>_<)子どもの頃の事、これから家族や自分の「老い」に向き合うのだろうなということ、自分の役者人生どう歩くか、と色々思い巡らせる事ができました。

辛い思いを抱えてお遍路にきた方とは、違いますが、それも人それぞれ。どうしてお遍路に来たか?を無理に聞く方は一人もいませんでした。

最後に聞いた話ですが、88ヵ所の最後になると、それまで各お寺で書いてもらった納経帳が盗まれるんですって!残りを集めて完成したのを、有り難い納経帳として高く売るんですって!…そんな人がいるんですね。大人のスタンプラリーと言えば、そんな感じ(笑)ですが、心穏やかに願って集めた納経帳は、その方の胸の中に残ると思います。心の持ち主のないただのスタンプ帳を売ってもねぇ。

でも、子どもの頃のように単純にスタンプが増えていく喜びもあるので本当に盗まないで欲しいものです。

にわか遍路が人様の参考になる事を言えるとは思っていませんが、
もしこれから旅立つ方がこのブログを見て少し安心して下さったら…また何か不安な事があったら、コメントくださいね。