なにぬの屋のしごと(障がいを持つこどもとの表現活動)
ブログなので、少し振り返り的な感じで2022年度のおしごとのことを書きます。
私は、2008年から現在まで、北区の幼児ディサービスで月に2回(今はチームで月に6~8回)リトミック(表現)講座をを受け持っていたり、2007年から2021年度までの15年間で終了になりましたが、世田谷区のプレーパークに集まる子ども達をゼロからストーリーを作る「劇団そら」の講師をしてきました。
・・・とにかく、子どもの思い思いの表現!・・・私から見たら、そう来るか!(笑)という表現の渦の中にいるのが好きなんです。
今年は縁があって、都内の団体さんが呼びかけて活動している「こども劇団333」のサポートに入ることに。(2021年から活動してきたそうで、私は2022年5月から関わり始めました。)その呼びかけ文に、「障害(しょうがい)がある子もない子も、日本語を話す子話さない子も、病気(びょうき)の親をもつ子もそうじゃない子も」とあります。
色々な特性の子どもに慣れているつもりだった私ですが、リトミック講座は幼児だし、333で出会う子は小学生が多く、なんだろう^^「慣れている」という考えはそもそも違ったなと思いました。自閉的傾向が強い子も多く、歩行の力や感覚の特性も本当に様々だから、言葉でみんなをまとめる訳にもいかない^^
リトミックの時は二人講師体制なので、ピアノや楽器が常にあるのだけど、私一人だと、楽器と言ってもピアニカは口ふさがっちゃうし、第一、持って行っては、一人の子に奪われて(笑)取り合いになる^^;でも、音の刺激は大事だし素敵なので、色々持っていきました。
そして、私が得意とする?のが、「劇ごっこ」
ある日、私は模造紙を何枚も持っていきました。他のワークショップでもやってらっしゃる手法だと思うけれど、模造紙の上に寝そべってもらい、その輪郭をクレヨンで書いて「島」を書きます。これ、大の字に寝そべる子もいるけど、くるっと丸くなる子もいるので、島の中にもう一つ丸が出来たり、細長い形が出来たり、台形みたいな形が出来たりします。
これが、面白い^^ そこを塗っていくうちに、おしゃべりが始まる^^
参加したある女の子、塗りながら「ドア」と小さな声で。そして「お話の国のドア・・・」って。
私は「素敵だね~」「こんな感じで開けるの?(と身体で表現)」と声をかけるだけで、ドアノブやカギ穴を書いてくれたり、「海があるの」と、またおしゃべりしたり。
その日は全部で8人くらいいたのだけど、部屋にずっと居るタイプではなく^^階段を上り下りしていた子が、入ってきたので紙とクレヨンを渡すと、ハイ、階段の絵^^!すごいな~~^^
姉弟参加もあり、スタッフの子どもの参加もあって、電車を書く子、家を書く子、犬ちゃんを書く子、
一人、ダウン症の男の子は、島だけ(輪郭だけ)描いたら部屋から出ちゃった^^;「どうしよう、これ無人島?」と私が言うと、「『新しい島』ってことでいいんじゃない?」と一人の子が。・・・おそれいりました~~
さあ、この絵を床に並べて、その日の劇ごっこの始まり~
皆さん、想像ついたかな? まず、階段をみんなで登って(その場で足踏みです^^)電車に乗って、ガタンガタン(けっこう激しく揺れてみます。振動と言う感覚で共有できる子もいるからです)着いた先にドアがある!開けてみると海に続いていて、泳いでいくと島発見、素敵なお家の三階に行くと、向こうにも島が見える!新しい島だから、今から作っちゃおう(書いちゃおう)と草を生やし、キャンプして寝そべっていたら、星が降ってきた~~~
その日はそこで、雪合戦ならぬ、星合戦をしておしまいになりました。
おはなしの国のドアをあまり使えてなかった?かもしれないけど、私はこの女の子が「自分でそう言って大事に塗っていた」ことがとても素敵と思っている。それに、また次の機会にこの絵を持っていってもいいし^^その時はその時の発想が待っているかな。
そして終了になった後、この日は部屋にちょっとしか入らず、スタッフさんとどこかを探検していた^^女の子(ASD傾向がもっと強い感じ)が、模造紙を裏にした真っ白なところに、絵を描き始めた。この子はこの一年別の内容で私が一緒に書こうとクレヨンを渡したりしても一緒に書いたことがなかったので、びっくり。
以上が、ある日の様子です。
実際の私は、子どもたちに翻弄されつつ、その表現に「そう来るか!」「すご~い!」の連続を過ごしているだけなので、計画性なんて微塵もなく、もしかしたら「この人演劇の指導できてるのかしら?」と不安になるような講師ぶりだと思います。
このブログで何を伝えたかったか・・尻切れトンボになっちゃうけど、
子どもは「遊ぶ」姿のなかに「表現」がすでにあって。 生きることは=遊ぶこと =いつでも表現しているよね
なので、誰かに何か伝えたくてする「表現」ももちろん楽しんだらいいし、相手から自然に出てくる「表現」を受け取ったり、自分が自分の「表現」に出会うこともある。
その子の「表現」をすべてわかるかは、どんなに長く一緒に過ごした家族にでも難しいのだから、
すべてわからなくても、どこかで感じ合えて楽しくなっちゃう場所や人や機会を!増やしていきたい。それがわたしのおしごとです^^